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マルコによる福音書8章36-37節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2025年7月15日
  • 読了時間: 2分

人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。


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今日、武力をもって世界征服をもくろむ者はいないが、経済・ビジネスにおいては、世界を牛耳(ぎゅうじ)ろうと思う者はいるのだろう。しかし、私たちがたとえ、全世界を手に入れるというような成功をおさめたとしても、いのちを失ったら、それが何になるのか、と主イエスは言われるのである。


ロシアの作家トルストイの作品に『人にはどれだけの土地が必要か』という短篇童話がある。勤勉なひとりの農夫がいた。つつましい生活に何ら不満のない人であったが、小作農だったので、自分の土地を持つことに強い執着があった。千ルーブルで、日の出から日没まで自分の歩いた分だけ土地を譲ってくれるという話を聞き、彼は迷わずそれに応募した。そこは想像以上に素晴らしい土地だった。「ここも欲しい、あそこも欲しい」と思って歩いているうちに、陽は西にだいぶ傾いていた。出発点に再び戻らなければ、一坪の土地も得られない。彼は死にもの狂いで走り、出発点にたどり着いた。ところが彼は、そこに倒れ込んだまま再び起き上がることはなかった。すでに息は絶えていたのである。彼が最後に手にしたのは広大な土地ではなく、葬られるための等身大の墓地だった。


われわれ日本人の勤勉さは賞讃に値するが、健康を顧みず、家族を顧みずに、仕事に明け暮れるなら、この農夫のように、取り返しのつかない事態となりかねない。「いのち」とは、単なる肉体のいのちではない。主がご自身の命を引き換えに賜わった、絶えることのない永遠の命である。この地上でどんな偉業を達成しても、この命を受け取らなければ、いっさいはむなしい。あなたを造られた本当の親である創造主なる神に帰れ。イエス・キリストは十字架にかかってあなたの罪のいっさいの代価を払われた。帰ろうと思えば、いつでも帰ることができる。そうすれば、あなたはその永遠の命を無償でいただくことができるのである。



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