マルコによる福音書9章2-8節
- Pastor

- 2025年7月16日
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六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた。ペテロはイエスにむかって言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。そう言ったのは、みんなの者が非常に恐れていたので、ペテロは何を言ってよいか、わからなかったからである。すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた。
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主イエスは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子だけを連れて高い山に登った。そして、彼らの見ている前で、主イエスの姿が光り輝く栄光の姿に変わったのである。いわゆる「変貌山」と呼ばれる記事である。これは出かけた先で偶発的に起こった出来事ではなかった。主が意図したものである。信仰を告白したばかりの彼らに、信仰の確証を与えるためのものであった。この主の姿の変貌は変わったというよりは、本来の姿を現わすものだった。光り輝く姿は、主イエスのうちにある神のご性質を表わすものであった。
モーセとエリヤとの会見は、旧約聖書に預言されて来たメシヤ(救い主)の到来が、このイエスによって成就したことを示すものであった(マタイ5:17)。そのところでイエスは、いよいよこれから遂行しようとしていた「十字架による贖(あがな)い」について、彼らと語り合っていたのではないかと言われる。ペテロは、恐れと恍惚状態の中で、何を言っているかわからず、それぞれに小屋(天幕)を建てようと言った。いつまでも、霊的に高揚された世界にとどまっていたいという、ペテロの気持ち、願いだったのだろう。しかし信仰は、現実の生活の中でこそ表わされるべきものである。だから、雲が一瞬にしてその場を覆い、それが消え去った時には、元の姿に戻った主イエスが唯ひとりそこに残され、「これはわたしの愛する子、これに従え」という天からの御声を彼らは聞いたのである。
神秘的な体験は、しばしば私たちの信仰の助けとなるものだが、絶対化されるべきものではない。主の求められる信仰は地に足をつけたものであり、私たちと世の終わりまで共においで下さる主イエスと共に歩むことである。そして、聖書をとおして今も語られる主の御声に聴き従うことである。






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