マルコによる福音書9章37節
- Pastor

- 2022年9月7日
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更新日:2022年12月8日
だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
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主が、これからご自身の身に起こる十字架の死と復活について予告された直後に、十二弟子は「誰が一番偉いのか」と論じ合っていた。「何を論じているのか」と主に尋ねられ、彼らは恥じて黙り込んだ。すると、主は「一番先になりたい者はすべての人の後になり、仕える者となりなさい」と言われた。その後、ひとりの幼な子を彼らの真ん中に立たせその子を抱いて、冒頭の聖句の言葉を言われたのである。当時、女性と子どもは見下げられていた。弟子たちですら、「ここは子どもたちの来るところではない」と言って追い返していた。その小さな幼な子を大人と何ら変わらないひとりの人としてその人格を認め、受け入れ迎えるなら、主も受け入れ迎えられるというのである。さらに、小さな幼な子を受け入れる者は主を受け入れる者であり、主を受け入れる者は父なる神を受け入れる者であると、主は言われたのである。主の前に上下の関係はない。教会では、声高な人もか細い声の人も、流暢に話す人も滑らかに言葉が出せない人も等しく尊重される。主にならう者は、誰に対してもへりくだり仕える者である。






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