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ヤコブの手紙1章6-8節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年11月7日
  • 読了時間: 2分

ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。


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昭和30年代の話である。ある若い夫婦に小学低学年の女児があった。


妻は病弱で家事することもままならなかった。そのため、夫は仕事から帰って決まって洗濯をする。未だ洗濯機が普及していなかった時代である。たらいと洗濯板での手洗いである。ある日、帰宅早々洗濯する夫の姿を妻は見て、仕事で疲れているのに、夫がせっせと洗濯するする姿を見てたまらなくなり、「私がするわ」と言って、夫から洗濯板を取ろうとした。「体にさわるから、駄目だよ」と言って渡そうとしない。そのうち、お風呂場で妻はそこに坐り込み、「うちに洗濯機があったら、あなたにこんな思いさせずに済んだのに」と嘆いた。娘はそれを傍らでじっと見ていた。


娘は、近所の子に誘われ日曜学校に通っていた。ある時、日曜学校でお祈りの話を聞いた。教師は聖書から「神さまは祈りに必ず答えてくださる」と語った。その幼い娘は確かめた。「祈りが答えられるって、本当なの?」「本当だよ」と教師は答えた。それからというもの、娘は「洗濯機が与えられるように」と祈った。来る日も来る日も祈った。ある昼下がり、縁側で、娘が新聞広告を見ながらぶつぶつ言っている姿を母は見た。「どうしたの?」と聞くと、指さして「神さまがこれをくださるようにいのっているの」と娘は答えた。それは、電気店の広告でそこに洗濯機の写真が載っていた。母はクリスチャンであったが、結婚以来、教会を離れて一度も教会に行っていなかった。


その娘が祈る姿に心打たれ、次の日曜日、娘と一緒に日曜学校に行った。その後に行われる礼拝にも出席した。そしてその礼拝後の報告の時のことである。牧師が、「教会に洗濯機を献品してくださった人がありました。教会にはすでに一台あるので、もしほしい人があったら申し出てください」と言った。母は喉から手が出るくらいにそれをほしいと思ったが、初めて行った教会でそんな厚かましいことを口が裂けても言えなかった。ところが、幼い娘が「それは私のものです」と言って前に出て行ったのである。


母は娘と家に帰った。その日のうちに一台の洗濯機が届けられた。幼い女の子が疑わずに祈った祈りへの神の答えだった。




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