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ヨハネによる福音書11章15節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2022年2月21日
  • 読了時間: 2分

わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである。では、彼のところに行こう。


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マルタとマリヤの姉妹から使者が主イエスのもとに送られ、「ラザロが病気である」という知らせが告げられた。使者が送られてくるほどのことだったから、重篤だったにちがいない。それに対し主は「この病気は死ぬほどのものではない」と言って、二日間、主と弟子たちはその場にとどまった。

その後主は、「もう一度ユダヤに行こう」、ラザロのもとに行こうと言われたのである。ユダヤに行くことは危険であると言って、弟子たちは止めたが、主の決意はかたかった。

「眠っているラザロを起こしに行かなければならない」と主は言われた。「眠っているだけならば、あえて行く必要はない」と弟子たちは思ったにちがいない。そこで、主は、ラザロが死んだという事実を明らかにし、冒頭の言葉を言われたのである。

主がそこに居合わせなかったことが良かったという。意外な言葉である。この後、マルタも「あなたがここに間に合っておいでになっていたのなら、私の兄弟は死ななかったでしょう」と言った。ラザロが死んで四日もたってからのことである。

私たちも、人の命がかかわるような重大なことのために祈ることがある。しかし、祈っても一向に応えられているとは思えない方向に事が進む。事が二転三転とし五里霧中におちいり、いよいよ主の御心がわからないという場合がある。神の御心は単純なものではない。私たちの知性によってはかり知ることのできるものではない。

主は「あなたがたが信じるようになるためである」と言われた。この後、弟子たちとマルタ、マリヤの姉妹が想像もしなかった神のみわざが行われた。


祈りが応えられないという時に、私たちの浅はかな考えで、祈りはきかれなかったのだと決めつけることなく、なおも主を信頼して、祈りつづけるものでありたい。その先に、主の驚くべきみわざを拝し、私たちの信仰は深められるのだから。


もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか。

ヨハネ11:40




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