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ヨハネによる福音書11章25節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2022年2月22日
  • 読了時間: 2分

わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。


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ラザロは死んで墓に葬られ四日が過ぎていた。出迎えたラザロの姉妹マルタに、「ラザロはよみがえるであろう」と主は言われた。マルタは答えた。「終わりの日によみがえることを信じています」。それに対し主が言われた言葉が冒頭の言葉である。そのお言葉にマルタは「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」と答えた。兄弟の死という悲しみにあっても、まっすぐに主を見て揺るがないマルタの信仰に心打たれる。


高校時代の頃であるが、ある教師からこんな話を聞いたことがある。「私の小学生の頃に友人が水死し、教会で葬儀が行われた。その葬儀の中で、亡くなった娘の父親である牧師がその娘の名を呼んで、万歳三唱をした。・・・信仰と言えども、どうしてそのようなことができようか」と。内村鑑三も愛娘を失った時に万歳三唱をしたと言われる。確かに不謹慎かもしれぬが、決して狂信ではない。牧師であろうと、肉親の死という悲しみに押しつぶされ、目を伏せ主を見上げることができず、復活の信仰もどこかへ吹き飛んで行ってしまう。万歳三唱はそうした不信の思いを一掃すべく、「娘は天の御国に移されたのだ。そこで必ず再会できる」という信仰を奮い立たせるものであったのではないか。




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