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ヨハネによる福音書15章16節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2022年3月29日
  • 読了時間: 1分

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。


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多くの人は、友人に誘われて教会に通い、牧師に導かれて信仰告白をし、洗礼を受けキリスト者となった。しかしながら、信じたのは自分の意志に基づくものであって、自分がキリスト教信仰を選んだのだという強い意識がある。それに対し、主は「わたしがあなたがたを選んだのである」と言われる。私たちの信仰は、とかく気まぐれで移ろいやすい。信仰と救いはそういう「私」から始まったのではなく、神の選びから始められたものである。「私」がどのようであっても、救いは不動のものである。エペソ1:4には、「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選」んだとある。信仰のアップダウンの度に、あるいはその日の天候によって、救われていたり、救われていなかったりするものではない。われわれの生れる以前、しかも、はるか昔の天地の基がすれられる前から、神の救いに入れられることが定められていたのである。




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