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ヨハネによる福音書23章20-23節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年3月16日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年9月28日

ピラトはイエスをゆるしてやりたいと思って、もう一度かれらに呼びかけた。しかし彼らは、わめきたてて「十字架につけよ、彼を十字架につけよ」と言いつづけた。ピラトは三度目に彼らにむかって言った、「では、この人は、いったい、どんな悪事をしたのか。彼には死に当る罪は全くみとめられなかった。だから、むち打ってから彼をゆるしてやることにしよう」。ところが、彼らは大声をあげて詰め寄り、イエスを十字架につけるように要求した。そして、その声が勝った。


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ローマの総督ピラトは、主イエスについて何ら罪を見いだすことはできなかった。一旦預けられたヘロデ王にしても同じだった。ピラトは、むち打ちの後、主イエスを何とか赦免しようと、過越の祭にちなんで特赦を行うことを提案し民衆に告げた。そこで、殺人と暴動を起こしたバラバと主イエスを民衆の引き出し、どちらを赦すのか?を問うたのである。ところが、祭司長、律法学者に扇動された民衆は「イエスを十字架につけよ」と熱狂して叫んだ。23節に「その声が勝った」とあるが、民衆は一斉にそう叫んで譲らかなった。ピラトとて彼らを止めることができなかった。これに反する処断をすれば、暴動が起こりかねないと判断し、民衆の声に従ったのである。


民衆が主を十字架につけた。その黒幕は祭司長、律法学者、宗教的指導者である。しかし、主を十字架につけたのは彼らだけではない。今日の私たちである。私たちの心に深く根ざした罪が、あの恐ろしいばかりにむごい十字架に主をかけたのである。それを心から認めるなら、私たちは救われるのである。


病床で息子から聖書の言葉を聞き続けた父親が、ある朝、親族を呼び寄せてほしいと、息子に頼んだ。危篤だと思って親族が一同そろった。その親族が集まったそのところで、父親は「お母さん、済まなかったね」と言って妻に謝り、自分の罪を告白し、キリストを信じる信仰を告白したのである。次の日、父親は安らかに天に帰って行った。




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