ヨハネによる福音書3章1-6節
- Pastor

- 2023年11月1日
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更新日:2023年11月2日
パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」
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ここに登場するニコデモは、サンヘドリンの議員である。律法学者であり、主イエスに敵対するパリサイ人の一人であったが、イエスの言動を、開かれた心をもって偏見をいだかずに見ていた。イエスは神から遣わされた優れた教師であると見立て、ただ人目をはばかって夜、主のもとに訪ねてきた。主とニコデモのかみ合わない対話が面白く興味深い。主は前触れなく突如、「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(3節)と言われた。それに対しニコデモは、この年になってどうして新しく生まれることができようかと反論した。主は霊的(スピリチュアル)な視点から語られ、ニコデモは聖書に精通した人であったにもかかわらず、残念ながら目に見える世界の視点から答えたのである。
神の国に入るためには、新しく生まれねばならない。「霊と水」とは、水にたとえられる聖霊のことである。肉によって、すなわち人の知性と世の常識によっては「新しく生れる」ということは理解できない。聖霊によって霊のまなこが開かれなければ、知ることはできないのである。だれの心にも、「イエスこそ、救い主であり、あなたが信じるべき神である」ことを聖霊はささやかれている。それを幼な子のような柔らかい素直な心で受けとめるなら、聖霊はその人の心に宿るのである。聖霊は神のいのちそのものである。その聖霊が宿るなら、その人に神のいのちが宿り、その人は神の子として新しく生れるのである。






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