ヨハネによる福音書3章18-21節
- Pastor

- 2023年11月7日
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彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。
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光なるキリストが私たちのもとに来られ、私たちはこの光に照らされて、自分の心に暗やみに気づかされる。だれもがその心のやみを認めようとせず、キリストをこばみ、神を否定し、光の中に来ようとしない。だが知ってほしい。この光は冷たい光ではなく、あたたかい光である。私たちの心のやみをあばき、二度と立ち上がれないようにさばくものではない。キリストの招きに応じてその光の中に勇気をもって入って行くなら、自分の本当の姿が見せられ、自分の心のやみが何であるかが明らかにされる。それを認めることは耐えがたいことであるが、それを心から認める時に、そのやみは光を浴びて完全に消し去られてしまう。私たちは光に包まれ、ただ光の中にあるさいわいと喜びに満たされるのである。
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
ヨハネ1:5






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