ヨハネによる福音書3章30節
- Pastor

- 2023年11月8日
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彼は必ず栄え、わたしは衰える。
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バプテスマのヨハネの心が揺らいだのは一度だけだった。ヘロデ王の不祥事を指摘して怒りを買い、投獄されていた時に、彼の弟子たちを主イエスのもとに遣わし「来るべき方(メシヤ)はあなたなのですか」と訊(き)かせた時である(マタイ11:3)。それを他として、彼の生涯はぶれることがなかった。バプテスマのヨハネは、キリスト(メシヤ、即ち救い主)を世に迎えるにあたって道備えをする、荒野で叫ぶ声に徹した。彼は「罪を捨てて神に立ち返れ、来るべき救い主を心に迎える備えをせよ」と力強く、確信をもって語った。質実剛健で久々の預言者らしい預言者が現われ、高名な預言者である「エリヤの再来」とまで言われた。彼の荒野で叫ぶ声を聞いて続々と人々は彼のもとに集まってきて、救い主を心に迎えるために悔い改め、その悔い改めのしるしとしてバプテスマ(洗礼)を受けたのである。
その救い主がおいでになって、ヨハネの役目はほぼ終えたに等しかった。主イエスのもとに人々が導かれ、ヨハネのもとに来る者が目に見えて少なくなったのに、ヨハネの弟子たちはただただ人間的な思いでさびしく思ったのだろう。「先生、ごらん下さい・・・・皆の者が、そのかた(イエス)のところへ出かけています」と言った。ヨハネの弟子たちは、神のご計画、神の御心からほど遠かった。それとは対照的にバプテスマのヨハネのこの最後の言葉は、神に献身し、神の召命に応える人のあるべき姿を輝かしく表わしている。「彼は必ず栄え、わたしは衰える」。バプテスマのヨハネは声を発して消え失せ、言葉なるキリストを人々の心に残したのである。
私たちもそうあらねばならない。自分がしたことも言ったことも忘れ去られ、ただ主イエスのみが人々の心にとどまり、いっさいの栄光が神に帰せられることである。






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