ルカによる福音書10章30-37節
- Pastor

- 2023年8月25日
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イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。
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聖書はおおよそ二千頁に及ぶが、結局のところ、この聖書全体において、神はわれわれに何を求めておられるのか?という問いに対し、主イエスは「神を愛し、隣人を愛することである」と結論づけられた。それに対して律法学者は「隣人とは誰のことですか?」と問うたのである。それに主が答えられたのが、今朝取り上げる「良きサマリヤ人のたとえ」である。
強盗に襲われ、道端に傷つき倒れていたユダヤ人を、神に仕える祭司もレビ人も見て見ぬふりをしてそこを通り過ぎた。ところが、ユダヤ人が毛嫌いしているサマリヤ人が彼を助け手厚く介抱したのである。サマリヤ人はもともとはイスラエル人、ユダヤ人と同じ国民だった。ところが王国が二つに分かれ、宗教的に堕落し、民族的な純潔を失ったため、ユダヤ人はサマリヤ人を蔑視していた。
隣人は国や民族を問わず、今助けを必要とするすべての人である。そして見返りを求めず、その人が立ち直るまで手を尽くす。それが隣人を愛することである。
このたとえが指し示すもう一つのメッセージは、この良きサマリヤ人こそ、主イエス・キリストであるということ。主は傷つき倒れている人を助け、死んだも同然の人を、手厚いの愛のわざをもって生きる力と希望を与えられるのである。






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