ルカによる福音書11章2-4節をいただいて
- 来主 珠里(July Cross)

- 2023年2月3日
- 読了時間: 2分
私は、主の祈りと使徒信条を朝と晩に祈ります。朝起きて直ぐに、そして寝る前にします。
最初は「祈るのがクリスチャンだ」とばかりに儀式的にやっていました。
でも、ある日、平坦な儀式的な祈りが、立体的に浮き彫りになってくる現象を感じるようになりました。
例えば、主の祈りの中の様々な願いの中で、ある日は「御国を来たらせたまえ」が強調的に胸に響いてきたり、また、ある日は「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」が浮き彫りになってきたり…のようにです。それは私の内なる聖霊が「今日は"そこ"を祈っておいたほうがいいよ」と私に思わせているような、そんな感覚です。
この感覚に陥る時、私は神様に守られている自分を感じることができます。
人は通常、「自力で祈っている」と思いがちですが、本当は祈りも神様によって導かれているのだと思います。
今日のデボーションの筆者が言われるように、「祈りそのもの」になれれば素晴らしいのですが、まだまだ祈りの際、肉の中の様々な思いへと引きずられてしまい、〝祈りの人〟には私はなれていません。
でも、主の祈りは、そのような不安定な心で祈っていても、確実に聖化の歩みから外れることなく、私を神様の御許へと向かわせてくださっています。
イエス様の教えてくださった祈りは、万能な祈りだと思っています。そして、祈る喜びへと導いてくださるものだと思います。それはいつも神様と繋がっているという証拠でもあります。






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