ルカによる福音書24章36-42節
- Pastor

- 2023年10月18日
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こう話していると、イエスが彼らの中にお立ちになった。〔そして「やすかれ」と言われた。〕彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。〔こう言って、手と足とをお見せになった。〕彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。
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よく、見たら信じると言われるが、ここには見ても信じられなかったことが書いてある。ここで復活というものがどういうものであるのかを、ご自身の復活の身体をもってプレゼンテーションしておられる。触らせ、食べて見せた。それは、弟子たちに見せて信じさせるためではない。キリストの十字架と復活による救いは、私たちの心に深く根ざした罪から解放し、罪の故に死に定められた人間を救うものであるその救いは、復活、身体のよみがえりであることを明確に示すためであった。直に見た人でも信じられなかったものが、見ていない私たちにどうして信じられるのか。それは死というものが身近になったらわかる。切実な気持ちが起こらないと、復活の命、永遠の命、神の御国がわからない。切実な思いをもって「主よ、あなたに会う備えをさせてください」と祈り、祈り待ち望むなら、聖霊なる神が私たちに臨まれて、死に対する何の恐れや不安もない、よみがえりの命の信仰が与えてくださる。そして、天の御国にまっすぐ通ずる道筋をはっきり見させてくださるのである。だから、何の心配もない。






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