ローマ人への手紙8章26節をいただいて
- 来主 珠里(July Cross)

- 2023年11月11日
- 読了時間: 2分
〝聖霊は風のよう〟とよく言われるが、その通りだと思う。フッと現れて、フッと消えてゆく。けれど、道を歩いていても、食事をしている時も、寝ている時でも、常に神を慕う気持ちでいると、聖霊はフッと現れて、フッと消えてゆくことはない。フッと現れて消えてゆくのは、聖霊ではなく、肉体である自分のほうになる。御霊に対して恐ろしいほど敏感になるためだ。
このようになると、周囲からの誘惑や言動が殆ど気にならなくなる。それはおそらく、聖霊が、周囲からの誘惑や言動を見る目や耳を塞いでくださり、神だけに集中する力をお与えくださるからだと思う。
先日、私のミニコンサートをする機会が与えられた。私としては、神の御前で聖歌以外の楽曲を歌うなど想像すらしなかったことである。それゆえに「こんな歌を教会で歌っていいものか」と一抹の不安があったが、その都度、祈り、神に問い、聖書を開き、聖霊に執り成していただいた。結論としては、「十分に自分の務めを果たしてこい」という神の命令だった。そして、「こう言ったら周囲にこう思われるのではないか」と思い、書き換えようとしたら、聖霊は「最初の台本通りに進めろ」と言われた。聖霊の命令は絶対である。
私のコンサートはいつもそうなのだが、〝私の〟ではなく、〝聖霊のコンサート〟となってしまうのである。
しかしながら、今日のデボーションの筆者も言われているが、「聖霊のあかしを持っていることは、最上の慰め」であった。
私たち人間はとても弱い。いつも迷いの中で心が揺れている者だ。その〝揺れ〟は罪に至る源のようなものであると思う。
揺れないためにはどんな時も聖霊を感じ、真の神を感じていなければならない。自分の経験や知識など、神から見てちっぽけなものに頼っていたり、神に喜ばれるようにと正しい者であろうと頑張ったり、他者から触発されてスイッチが入ったものであれば、この〝罪に至る揺れ〟は一生消えないだろう。それらは自分を見失っている証拠であるのだから、その〝揺れ〟から間違いを犯すことになるだろう。
それでも、神は私たちをお赦しくださる。その都度、心から悔い改めれば赦してくださるのだ。神は先見をお持ちだから、私たち人間が罪を犯すことを承知の上で聖化の道を与えて下さっている。
神から造られた自分を見失うことなく、失敗を恐れることなく、信仰の道を歩んでいこうと思う今日である。






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