創世記13章9-12節
- Pastor

- 1月28日
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全地はあなたの前にあるではありませんか。どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう」。
ロトが目を上げてヨルダンの低地をあまねく見わたすと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったから、ゾアルまで主の園のように、またエジプトの地のように、すみずみまでよく潤っていた。
そこでロトはヨルダンの低地をことごとく選びとって東に移った。こうして彼らは互に別れた。
アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移した。
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アブラムとロトはそれぞれに富み、多くの家畜と雇人を持つようになった。6節には「彼らの財産が多かったため、共に住めなかった」とある。しばしば雇人の牧者同士で家畜の水や牧草をめぐって争いが起ったのである。争わずに済むように、アブラムはロトと別れることを決意した。ロトも独立するだけ財力を持ったからである。別れるにあたって、アブラムは甥のロトに好きな方の土地を選ばせた。ロトは叔父アブラムを実の父のように慕い、彼に伴ってカナンの地に来た。アブラムのお陰で、ロトは多くの家畜を持ち繁栄をきわめた。それを考えれば、お世話になった叔父に選択権を譲って、自分が残りを選ぶのが道理である。ところが、ロトは抜け目なく、牧草が生い茂り、水辺のある潤った地を選んだ。
人生の岐路に立たされて、どのようにして道を選択すればいいのか? それは、わかりきっていることであるが、神に祈って、神に相談して決めることである。アブラムは、飢饉に見舞われた時、そのわかりきったことができなかった。自分の経験や世の中の手法に従った。エジプトでの苦い経験を基に、再びベテルに寄留した時、彼は祭壇を築き神に祈ったのである。祈ったからこそ、心にゆとりを得、他人に譲ることができたのである。残り物の、割に合わない方を選ぶ結果となっても、神はアブラハムを祝福された(14節以下)。祈らずに目で見て選んだロトは破滅の道をたどった。
人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。(箴言14:12)
神に祈り、主を牧者として従順に主に聴き従うなら、岐路に立たされる時、主の確かな声を聞き分け、間違いのない選択ができる。
また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、
そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。( イザヤ30:21)






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