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創世記17章1節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 1月30日
  • 読了時間: 2分

アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。


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アブラハム夫婦に嫡子(ちゃくし)が与えられるという神の約束(15章)をいただいても、サラは子を産まなかった(16:1)。彼らはどこまでも信仰に立つということができず、世俗的・人間的手法で子を得ようとした。その結果、夫婦の関係は最悪の状態となり、ひとりの人を死に追い込む事態までひき起こした。キリスト者から信仰を取ってしまったら、ただの手に負えない罪人である。アブラハム86歳の時である。それから13年が経って、99歳になったアブラハムの前に主は現われて言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」。信仰の煮えきれないアブラハムに対して、主ご自身が信仰の仕切り直しをさせ、彼を新たな段階、すなわち聖化に至らせるみことばだった。99歳の老人に向かって、「神にならい、人間として完全な者になれ」とは誰も言わない。ここは「わたしの前に歩み」というただし書きが大事である。「人の前に」ではなく「神の前に」である。つまり、神に対する信仰において完全でありなさいというのである。一から十まで物でもなく人でもなく、ましてや自分でもなく、神に依り頼むことである。これは、アブラハムが99歳だったからこそできたことであった。自らのうちに可能性というものが全く絶たれた。もうすべてを全能の神に委ねるしかない。いかなる時も、この信仰に立つことが「全き者となる」ことである。その最も良き模範は、何事も父なる神に聴き従ってこの地上を歩まれた主イエス(ヨハネ5:19)であった。



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