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創世記18章32節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 1月31日
  • 読了時間: 2分

アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。


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強い陽射しに陽炎のゆらぐ昼下がり、三人の旅人がアブラハムの宿営に訪れた。主ご自身と二人の御使いである。サラの出産が一年後に迫っていることを予告すると、彼らはソドム、ゴモラに向けて発った。見送るアブラハムに、主はソドム、ゴモラへ下される神の審判の計画について明かされた。何故、極秘の神の特命が明かされたのか?それは、甥のロトとその家族が居住していたこともあったが、本当の理由は18-19節にある。アブラハムは何のために神に選ばれ、カナンに遣わされたのか?それは彼とその子孫が救われ、正しい道を歩むためであったが、そればかりではない。近隣の人々が、さらには全世界の人々が彼らと同様に救われ、神の祝福にあずかるためである。神がアブラハムに期待したのは、ソドムとゴモラの町が滅びることのないようにとりなし祈ることであった。自己のためだけに終始する信仰は辛く息苦しい。他者のための祈りが、信仰に広がりを与え自由と解放を与える。他者のための信仰というところに行き着けて、私たちはクリスチャンになって本当に良かったと思える。パウロは同胞であるイスラエル人が救われるためなら、わが身が呪われ、キリストから引き離されてもいとわなかった(ローマ9:1-3)。アブラハムは主と問答を繰り返し食い下がって祈った。このような主との交わりの祈りが私たちの信仰を成長させる。祈りが私たちを主と同じ姿に変貌させ、私たちに主と同じ心を与えるのである。



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