創世記1章1節
- Pastor

- 1月15日
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はじめに神は天と地とを創造された。
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クリスチャンになって、よく「生かされている」という言葉を口にする。その言葉を発すると、「これまで生きて来て本当に良かったなあ」としみじみと思い、神に対する感謝と喜びが心に満ちあふれてくる。神は、六日間で天地万物を創造された。その次第が、この創世記第1章には叙事詩のように描かれている。神は六日目に、最後の被造物として人類を造られた。長い歴史と広大な空間におびただしい数の人間が存在しているが、神はわれわれひとりひとりをご自身の手にかけ、丁寧に造られている。神の全能の力とはかり知れない叡智をもって、たったひとつのかけがえのない、傑作品として創造されたのである。われわれをとりまく自然界は美しく、住まいとして整っている。日々の糧も豊かに備わっていて申し分ない。はじめに神がおられ、神がこの世界を造られ、私たちひとりひとりを造られて生かされて、今、ここにある。神があって私がある。
主イエスの言われた言葉である。
「よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は、必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける。」(マルコ10:29-30)
家族や仕事や財産を捨てるべきであると主イエスは語られた。聞き捨てならない言葉である。何故、捨てなければならないのか? それは、これらのものが神ご自身に代わるものとして、主客が転倒しているからである。本来、神があって家族があり、神があって仕事や財産がある。その本来のあり方に戻すために捨てるなら、百倍の祝福にして、それらを再び私たちの手に返して下さるのだという。神があって私がある。この神の定められたことにしたがって生きるなら、神ははかり知れない祝福を与えられる。神に生かされているものであることを忘れないでいたい。






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