箴言18章14節
- Pastor

- 2025年2月14日
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人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか。
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心が健やかで丈夫であれば、どんな病苦が私たちを襲っても耐え忍ぶことができる。しかし、心が傷つき痛むときに、どうやってその苦しみに耐え得るのだろうか。
かつて、鬱(うつ)の心の病だった人に、それが結構重い症状だったときに、こんなアドバイスをしたことがあった。Tさんは女性だったが、テニスとゴルフが得意なアスリート系の人だった。運動をすることが嫌いではない。それで、「全身運動のスイミングをやってみたらどうだろう?」 彼女はすぐにスイミング教室に通い実行に移した。すると、どうだろう。多少の時間はかかったものの、少しずつ快復して行った。彼女は少ししんどいかなというぐらい、体に負荷をかけてそれを続けたという。その話を聞いて、私なりに思ったことは、少々身体にこたえる運動をすると、心の大変さを身体が負ってくれるのだということである。つまりは、心が身体の大変さを負うように、身体も心の大変さを負えるのだということである。
さて、本論に戻って、「心の痛むときは、だれが耐えようか」という。
詩篇の147:3を読もう。「主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる」。心は身体とちがって、その手当てや治療はむずかしい。私たちの手の届かないところに心はある。しかし、主の御手はあなたの心に届く。その傷を包まれて、しばらく包んで、そしていやされる。






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