箴言29章18節をいただいて
- 来主 珠里(July Cross)

- 2025年1月3日
- 読了時間: 2分
真実に、私たちの人生には、小さなことですらも、神が関わってくださっていることを感じる。
私たちが常に右か左かと選択肢を選べるように、神は自由をくださった。けれども、私たちが右を選ぶのか左を選ぶのか、神は最初から全てご存知であると思う。私たち人間ですらも、我が子が右を選ぶか左を選ぶか、我が子の性格や癖などを知って予想することができる。神ならなおさらお分かりであろう。だからこそ、私たち一人ひとりに神はご計画を立ててくださる。
先日、主日礼拝の時に私は奏楽カラオケのご奉仕の担当になった。手持ちのツールでカラオケを出力すればいいだけの簡単な作業である。
ところが、全曲用意していたと思っていたにもかかわらず、後奏だけを用意し忘れていた。単に「忘れていた」と言えばそうなのだが、脇が甘かったとしか言いようがない。決まったパターンの演奏を流すもののため、いつもの短いパターンの曲でないと、会衆が礼拝終了の気持ちにならない。慌ててオンラインにつなげて用意しようとしたが、こういう時に限って、ネットがなかなかつながらない。
そこでふと思い出した。以前に牧師が病で一日だけ礼拝が中止になったことがある。その時に、礼拝の最初から最後までを動画で提供するというものを作成していた。そのデータが手持ちのツールに削除せずに残っていることを思い出した。礼拝の最初から最後まで作成してあったので、一番最後に後奏を入れていたことを思い出したのだ。
急いでそのデータを立ち上げて、後奏の部分だけを取り出して出力し、事なきを得た。
こういった事は、礼拝だけでなく、あらゆる場面で起きることだ。自分では完璧だと思っても、どこか抜け落ちてしまっていて困ってしまうということは、誰でもあることだ。
悪い方に転んでしまい、何の助けも得られないこともあるかもしれないが、ありがたいことに、一生懸命の気持ちで神に仕えていると、困ったと思った時に本当に神の手は差し伸べられるのだと思った。また、神の助けなくしては、人は何もできないのだということを実感した。筆者の言われるように、いつも土台は神でなくてはならないと思う。
人生のあらゆる場面において、神のご計画と自分の計画とがきちんと一致できるように、常に神の御心を思いながら歩めるよう心したいと思う。






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