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詩篇103篇3節

  • 執筆者の写真: Gates to Devotion
    Gates to Devotion
  • 2025年9月3日
  • 読了時間: 2分

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病を癒し...。


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キリスト者は2つの部分、すなわち信仰による内的存在と、肉による外的存在というふうに分けられます。

もし信仰によって見るならば、キリスト者は全く純潔です。みことばには何の汚れもなく、これにすがる心にみことばが入る時、心を全く清いものとするからです。

それゆえ信仰にあってキリスト者はみな完全であり、それ故にこそ、私たちは王であり、祭司であり、神の民なのです。


けれども、信仰は肉の中に存在し、私たちは今なお地上に生きているので、時して焦りや死の恐れなどを感じます。こうしたことはみな古き人の弱さです。信仰がまだ完全に浸透しておらず、肉に対して完全な勝利を得ていないからです。


この真理を、ルカの福音書10章のたとえ話に見ることができます。

エルサレムからエリコに向かっていた人が強盗に襲われ、傷つけられ、半死の状態になりました。通りかかったサマリア人が彼をあわれみ、傷を包み、手当てをしました。それから宿屋の主人にお金を渡して介抱してくれるようにと頼みます。この傷ついた人は、もはや死の危険を脱出したことがわかります。隣人が世話をしてくれたからです。彼は確かに急死に一生を得たと言って良いでしょう。

けれども、まだ何か欠けたものがあります。まだ完全に癒されていないからです。生命は救われました。しかし、健康をまだ完全に回復したわけではありません。なお、医師の監視下にあり、注意が必要です。


同じように、私たちも主キリストを持ち、永遠のいのちを確信していますが、なお私たちの内に古きアダムの何かが残っています。



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