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イザヤ書12章5節をいただいて

  • 執筆者の写真: 来主 珠里(July Cross)
    来主 珠里(July Cross)
  • 2023年1月5日
  • 読了時間: 2分

人には体も心も不調になることはよくあると思います。

よく「喜びをもって主をたたえましょう」と言われることがありますが、この地上で生きていれば喜べないことがたくさんあり、いつでも喜んで賛美できるわけではないと感じます。

歌が不得意だという意識があれば、それは益々喜んで歌える日は少ないかもしれません。


私もこのデボーションの筆者と同じように、音楽は得意ではありません。実は幼い頃から苦手意識があったので歌の学びをしようと思って入った道が、周囲の応援と支えがあって、多くの舞台経験をし、今に至っています。

そして、最終的に神様はご自分の御傍で私を歌わせるようにさせました。上手な人はいくらでもいます。独唱や合唱・楽器経験などあらゆる音楽経験をされた人もたくさんいます。または聴き手としても耳がこえていると自負している人も多いです。賛美歌も限りなく知っているという人はたくさんおられます。

けれど、神様はこの何もできない、何も知らない私を立てられました。そして、歌えるよう学びの場と、それに伴えるよう体力もくださいました。何故でしょうか。私自身、何度も神様に祈り、問いました。

その答えは実に明瞭な回答でした。


すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。

ルカ13:8-9


神様は、育むのが大好きなのだと思います。

できる者はすでにその物事ができるので、神様にとって大切な存在ではありますが、育てる必要はありません。でも、できない者は育てる楽しみと同時に、神様だけが御計画できるその人に対しての素敵な未来があります。神様は実ったその未来の姿になるまで忍耐強く待ってくださる御方だと思います。

そして、育んでいただける者は、いつでも神様に切り倒されてもよい覚悟で、神様にまっすぐ向き合い、良い時も悪い時も、伸びていく自分と神様を信じて歩むべきだと思っています。


この小さな者に目を留めてくださる神様に感謝と共にお従いし、麗しい実がなるように神様に育てていただきたく思います。






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