イザヤ書32章14-15節
- Gates to Devotion

- 2023年2月13日
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宮殿は捨てられ、にぎわった町は荒れすたれ、丘と、やぐらとは、とこしえにほら穴となり、野のろばの楽しむ所、羊の群れの牧場となるからである。しかし、ついには霊が上からわれわれの上にそそがれて、荒野は良き畑となり、良き畑は林のことく見られるようになる。
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これは、イザヤが一貫してこの書で告げていたことです。神の代わりに何かを信頼するならば、最後には自分を滅ぼすことになると。イスラエルの問題は何であったのでしょうか。それは、神から目を離し他のものを愛し求めていき、そうこうするうちに自分たちの社会を特徴づけていくはずだった神の公正と義が失われていきました。つまり、神との契約を破ってしまいました。
では、神はどうされるでしょうか。民自身の立てた誓いに基づき、契約を破棄した民を滅ぼすのでしょうか。否、神はそんなことはされません。神を信頼しなかったことから引き起こされた滅亡に至ったとき、神は現れ何をされたのでしょうか。
それは後半15節のみ言葉に記されています。
しかし、ついには霊が上からわれわれの上にそそがれて、荒野は良き畑となり、良き畑は林のことく見られるようになる。(15節)
神への不信仰の報いを受け、神との契約を完全に破ってしまったとき、神の応答は民を完全に見捨てることではなく、むしろご自身の霊を民に注ぐことでした。神は民を見放しはしません。アブラハムとその子孫らとの間に結んだ契約を破棄せず、むしろ民が自分たちの真の姿を知り、自分たちが本当に必要とするものが何であるかがわかったとき、神はその必要を満たすように働き始められたのです。限られた人たちの上に働き、普通の人たちにはできないようなことを可能にさせてきた聖霊を、今度は誰もが受けられるようにし、神の特質にならって生きることができるようにするのです。






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