イザヤ書32章14-15節をいただいて
- 来主 珠里(July Cross)

- 2023年2月13日
- 読了時間: 2分
今日のデボーション箇所で実に安心感をいただきました。
神の家族である兄弟姉妹の誰かが明らかにひどい罪を犯してしまっているのが見えた時、私は祈るのです、「どうかこの方の心が神様のほうへ再び向きなおせますように」と。そして、それと同時に、「神様はこのような不信仰に陥ってしまっている方をどのように扱われるのだろうか」と心配もわきます。神様のなさることは人には分かりません。
でも、今日の箇所では、神様はそういった不信仰の者も見捨てないのはもちろんのこと、神様の霊を注いで、神様の特質のうちに生きることができるようにしてくださるのいうのです。
なんと素晴らしく、嬉しいことでしょうか!
そして、喜びと同時に、そういった兄弟姉妹をじっと修正される神様の忍耐強さと、その通り管となっておられる牧師先生方の精神力がより健やかであるよう祈るのです。
通り管は、清らかな水が通っている時は、神様の御業が速やかに現れ続けます。けれど、通り管にごみが詰まっていたり、傷がついていたりすると、水は詰まったり、沁み出たりして、神様の御業が速やかに現れてこないように思います。牧者が健やかであるために、その羊である信徒は気を配らなければならないと私は思っています。間違っても噛みついたり、蹴ったりする羊であってはならないと思っています。
私自身、今も罪を知らぬうちに犯してしまう羊ですが、そういった中にあっても神様と常に語らい、それによって神様に練られた羊でありたいと思います。






コメント