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エフェソ信徒への手紙3章20節をいただいて

  • 執筆者の写真: 来主 珠里(July Cross)
    来主 珠里(July Cross)
  • 2023年1月9日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年1月10日


今日のデボーション箇所の祈り手の気持ちは、手に取るように分かる箇所です。

「私が」と自分を中心に思いが向かうとあまりこういう気持ちにはならないかもしれませんが、「私が」というものを取り去って、他者を中心に思いが向かうと不安がつきまうように思います。他者を失望さえてしまうかもしれないという他者の目を気にすることに繋がるからでしょうか。

けれど、幸いなのは、この祈り手は、他者を意識した不安を抱えつつも、その不安を神様にお委ねしているところ、しかも「喜びのうちに進んでいけるように」と祈っており、私も実にこれに倣いたいと思います。喜びがあれば苦痛は苦痛に感じず、その上、苦痛への忍耐も自然に生まれるように感じます。


私はボランティアワーク先に毎朝30分ほど歩いて通っています。

都会人の集まりであるワーク先の仲間は「朝から30分も歩いて通うなんて大変!」と言います。そう言われるのも分からないわけでもないのです。私は朝の30分徒歩の後、ワーク先で5時間まったく座ることのない飲まず食わず休憩せずの立ち作業で動き回ります。万歩計をつけると、一日2万歩近くになります。


でも、朝の爽やかな空気をいただきながら、イヤフォンで音楽を聴きつつ、「今日という日を私に与えてくださった神様は、いったいこれから私に何をくださるのだろう」と神様に思いを馳せながら公園の中を歩くと、公園内で出会う鷺や鴨を愛でる潤いも手伝って、あっという間にワーク先に到着しています。ワーク先の作業も子供たちと戯れ、体を動かしながら神様や賛美のことを考えているので、あっという間の5時間です。

そして、知らない内に筋肉がついて、教会御奉仕や音楽伝道のための体力が与えられていました。

神様は、私が苦痛を超えてまでやる物事を面倒に思うのをご存知で、喜びをもって動き、作業をし、心身ともに四六時中 神様と共にいられるようにしてくださっていました。


人よ、何が善であるのか。

そして、主は何をあなたに求めておられるか。

それは公正を行い、慈しみを愛し、へりくだって、あなたの神と共に歩むことである。

ミカ書6:8


自分中心・他者中心になり過ぎないレベルで、自分に思いをかけることも、他者に心をおいて差し上げることも大切だと思います。

でも、それを超えて、常に神様に思いをおくことが何よりも大切に思っています。

あらゆるところからやって来る不安を拭い去ってくださる御方を一秒たりとも忘れることなくいたいと思います。




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