エペソ人への手紙1章17-19節
- Pastor

- 4月9日
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どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。
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「神に召される」とは、神に呼ばれ神の御救いに入れられることである。その救いにあずかるためには心の目が開かれなければならない。何よりも私の罪に気づかされなければならない。私は人間関係にあって傷つき、悩まされる。「あの人さえいなければいいのに」と思う。しかし、聖霊は、この対立を生み、この人間関係をこじらせているのは「あなたです」とストレートに宣告される。「本当にそうだ」と思えるから、私はそれを認めようとしない。また、「本当にそうだ」と思えるから、私は心から認める。両方の心が私のうちにある。
次のようなみ言葉がある。
だから、聖霊が言っているように、「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、荒野における試錬の日に、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。(ヘブル3:7-8)
聖霊がささかれるとおりに自らの非を認めるなら、私の前にキリストの十字架は、私の前に鮮やかに現わされる。そしてキリストの復活によって力強く背中を押され、新たな人生に歩み出すのである。






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