エペソ人への手紙6章12節
- Gates to Devotion

- 2024年7月9日
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私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
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優れた兵士は、よく準備して戦いに臨みます。敵を破るために適切な武装をするだけでなく、戦場に着いた時に予想される状況を知っています。さらに大切なことは、敵の性質を知って、自分が従事する戦いの性質も知っています。
欽定訳聖書のエペソ6章12節では、戦いにあたる言葉として struggle(奮闘)の代わりにwrestle(格闘)を用いています。パウロの時代は、レスリングがポピュラーなスポーツだったので、パウロは霊的戦いに類似したものとして、この言葉を用いました。レスリングというスポーツと霊的戦いには、ある重要な類似点があります。
大抵のスポーツと違って、レスリングにはリラックスしたり、息つく暇がありません。レスリングでは、各ラウンドが始まった瞬間から絶え間なく集中が要求されます。すべての思考を集中して、すべての筋肉を備えなければなりません。一瞬でも集中を失うと、苦戦を強いられます。レスリングと同じように、霊的戦いには休憩ががありません。クリスチャンの心に、刻んでおいてもらいたいことを一つだけ挙げるとしたら、霊的戦いには全く休みがないということです。
その戦いは、1日24時間、週7日、年に52週、継続して行われています。サタンは土曜の夜も月曜の朝も休むことがなく、電話で欠病を伝えてくることもありません。サタンは私たちの中で、また、私たちを通して働く神のみわざを容赦なく妨害しようとしています。
戦いには休みがないというのは、神が成されたことを維持するために、戦わなければならないという意味で言っているのではありません。救いを達成するために戦う必要はないのです。神の恵みによって、すでにその立場に置かれています。私たちが立ち上がるのは、救いを得るためではなく、救われているからです。
大抵の霊的戦いは、敵の働きに気づくことによって勝利を収めます。大切なのは、始終戦い続けることではなく、生活のどの瞬間にも戦いが続いていることに気づくことです。






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