ガラテヤ人への手紙2章19-20節
- Pastor

- 2024年10月19日
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わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
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キリストは私の身代わりとなって十字架で死んでくださったことは真実である。それによって私の罪は赦されたのである。
と同時に、キリストは私と共に十字架にかかられ、キリストは死に、私も死んだのである。私が死んだということは、私、すなわち私の自我と一体となっている原罪も共に死んだのである。これによって、罪から完全に切り離されたのである。罪からの全き解放である。それが最終的に実現されるのは「栄化」の時である。
「今肉にあって」、それはこの地上にあって、私は罪人であることに変わりないが、信仰によって、「もはや私ではなく」、それは、罪(自己中心)の言うなりにならず、キリストが私の内に生きて、人を愛し、善を行ってくださるのである。
何よりも大いなる神の恵みは、私のうちにキリストが生きておられることである。






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