ガラテヤ人への手紙4章9節
- Pastor

- 2024年10月25日
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しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか。
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日本基督教団松戸教会の石井錦一牧師が、NHKの「心の時代」という番組に出演し、信仰の証をされたことがあった。
石井牧師は、戦後のキリスト教ブームと言われた時代に信仰に導かれ、献身して神学校に入った。勢いでそのような道に進んだのかも知れない。卒業間近にして、自分の信仰が全く空虚なものであることを知ったのである。牧師になることなどとんでもない。クリスチャンであることすらままならなかった。そこで神学校を退学し、自分はもはやどうすることもできず、横浜の埠頭(ふとう)にたむろする「プー太郎」にでもなろうと思ったという。
ただクリスチャンをやめる前に、本気でこのキリストを信じられるものかどうか試してみようということで、旧約聖書の始めから新約聖書の終わりまで読むことにした。一週間が過ぎ、このガラテヤ書4:9に至って、自分はひたすら神をわかろう、神を知ろうとしていたけれども、自分が神を知るという前に、「私は神に知られていたのだ」という揺るがぬ事実を知り、自分はすでに神に捕らえられている。「私は救われているのだ」という不動の確信が与えられたのだという。その後の石井先生の歩みは言うまでもなく、多くの人たちを救いに導き、群れを牧し、長年『信徒の友』の編集長を務められ、その巻頭言に書かれたご自身の「祈りの詩」は多くの人々の励ましとなり慰めとなった。成田にいた時代、晩年の石井先生と交わりがあり、今も忘れられない。






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