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ガラテヤ人への手紙5章1節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年10月26日
  • 読了時間: 2分

自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。


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「早く起きなさい」と言われても、一向に起きようとしない。ぎりぎりになって再び起こされ、ふてくされてようやく起き、「何かひとつでも食べて行きなさい」と言われても、「食べるも食べないも、おれの勝手だろう」と言って、用意されている朝食に目もくれず、家を飛び出してゆく。「おれの勝手だろう」という言葉は、言うまでもなく、自由にほど遠い。


自由とはまず、起こされる前に自分で起きることである。さらに「おはよう」と気持ちよくあいさつし、早くに起きて朝食を用意してくれた母親に感謝の言葉をかけ、よく味わって食事を摂り、「美味しかったよ」と一言残して出かける。一緒に暮らす家族に気遣い、やってもらっていることをあたりまえとは思わない。そこに本当の自由がある。「勝手だろう」とは正に自分勝手であって、それは聖書の言う罪に他ならない。罪の言うなりにはならない、それにあらがってこそ、自由なのである。今朝のみ言葉は、キリストを信じた者は、すでにその自由が与えられていることを想起させるものである。「自分のことしか考えられない、私をおゆるしください。わがままを通さず、他人を思いやれる心を授けてください」と、自分を見つめつつ祈ろう。主はきっとあなたのうちに自由を取り戻させてくださる。




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