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コリント人への第一の手紙12章14-21節をいただいて

  • 執筆者の写真: 来主 珠里(July Cross)
    来主 珠里(July Cross)
  • 2023年1月28日
  • 読了時間: 3分

今日の箇所のメッセージはいつも私も感じていることをいただいた気がしています。


私は一人っ子なので、兄弟姉妹とバランスをとって自分の存在を置くということがありませんでした。学校や社会に出るようになって、初めて他者との関係をバランスよく保つということを学んだように思います。

教会だけでなく、どこの場所においても人間関係というのは厄介なものだと思います。

誰もが自我を持っており、その自我が顔を出すと、他人が求めることよりも自分が求めることを優先してしまうことが多いように思います。自我がなければ、人間関係においてトラブルになることはあまりないかもしれません。けれど、人がそれを取り去ることは罪人ゆえに難しいのかもしれません。


以前に、キリスト者の友人が他の教会に引っ越しによって移ることになる話が出ました。快く移れるように、そしてその教会が豊かに栄えるようにと、祈祷会で皆様にお祈りをお願いしました。ところが、その中の一人の姉から「うちの派でない教会のために祈る必要は無い」と言われ、祈りは却下されてしまい、姉のその言葉でその場の空気が淀んでしまいました。


何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。

ピリピ2:3


ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。

ヤコブ3:16


私の心の中にこれらのみ言葉が与えられ、祈りが却下されてしまったことは残念には思いましたが、姉を恨むことは全くありませんでした。それよりもその姉が、キリスト教のそれぞれの派が、キリストにおいてそれぞれの役割を果たすために、互いにキリストの体の足であり、手であり、目などそれぞれの違う役割の部位なのだということを理解し、神様ではなく自我の考えからくる党派心がなくなることを、その夜、祈ったことがあります。


オーケストラや合唱などは、それぞれの役割、つまりパートが与えられています。指揮者には指揮者の役割があり、バイオリンにはバイオリンの役割が、歌には歌の役割があります。人数が多いオーケストラや合唱であればあるほど、テンポ感も音質も様々な感性が違うため、美しいハーモニーを出すのは至難の業です。誰かに自我があると、その音だけが突出し、ハーモニーは乱れてしまいます。常識として、互いに助け合ってハーモニーを作らなければならないと分かっていても、人は自分の役割、つまりどこの体の部位を担っているのかを忘れてしまうのかもしれません。

上記の姉も、キリスト者に与えられている「祈り手」という役割を忘れてしまったのだと思いました。


教会での役割で私は、現在、賛美と日曜学校でキリストの体の小さな部位として御奉仕させていただいています。このような日々が来るとは、私は全く想像していませんでしたが、想像できなかったからこそ、神様のお導きだったと感じます。

このような微力な私に一体何ができるのかと思うことが年中ですが、神様がご入用ならば、努力は惜しまず、神様が私の地上での命を「ご苦労様」と絶ったり、「お休みなさい」と動けない病をくださったり、牧師先生を通して神様が「もう十分ですよ」と断られる日まで、神様の良きハーモニーを奏でられるようにお従いしていきたく思います。




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