top of page

コリント人への第二の手紙12章9節をいただいて(1)

  • 執筆者の写真: 来主 珠里(July Cross)
    来主 珠里(July Cross)
  • 2023年1月8日
  • 読了時間: 3分

パウロの体のとげの箇所は、大伝道者のパウロでさえ不完全な人間だったのだと知らされる箇所だと感じます。そして幸いだったのは、パウロは自分ひとりで嘆いているわけではなく、〝神〟という嘆いてよい相手がいた幸いを思います。無駄な強さを切り捨てて、神様のくださった覚りへの道を標す弱さを誇るパウロだからこそ、神様の光が大きく放たれる人物になったのだと感じます。ここにプライドや経験などに頼らない、神様が喜ばれる幼子のような素直な心の人物像を見出すことができます。


先日、実家へ戻った時に、ご近所に住む両親の女友達のご主人様が訪ねてきました。

この方は「とても変わっている人」として評判で、両親の友人である奥様は離婚したくて仕方がないほど変わっていると嘆いている、というのです。

どう変わっているのかと申しますと、70代のこの方は、耳は遠いものの健康ですが、その健康はご自身の健康管理にあるというのです。あらゆる食品の成分表を確認してから買い物をし、体に良くない人工的なものが成分表に少しでも書かれていると奥様に注意し、汚染されているような生鮮食品を買わないように、はるばる遠くから卵一個から注文する…という具合です。

実家にいらした時も、母が出した食べ物をチェックし、「実はこういうのは体に良くないんですよね」と言われておられました。母は大らかな性格なので「そうですか」と笑って聞き流しておりましたが、母が大らかな人でなかったら怒っていたかもしれません。

すると、この方は、ああだこうだと世の中の食品の成分の害を述べた後で、「だからね、齢をとっても病気にならないように………自分で……頑張らなくてはいけないんですよ」と言われました。

「自分で」の前後に大きな間がありました。


この方は病気、またはそこから来る死への苦しみに「自分で頑張れない」のをご存知なのだと思いました。実際、他人の声が段々聞き取れなくなっている耳は、食品成分を気にしたところで良くはなりません。食品成分を見て健康を気遣うことは悪いことではないと思います。ただこの方の場合、食品成分や生鮮食品の汚染度をあまりにも病的に知ることで「自分は病気にもならないし、死ぬにしても苦しまない」という安心を得たいのかもしれません。そしてそうする自分が「世の中で一番正しい」とすることで、生きる自信を生み出そうとしているように見えます。

真の神様をご存知ないということは、大黒柱のない家のようなものだと思います。

朽ちていく壁を気にしつつ、いつか倒壊するのをジッと待つ…不安しかないのです。


私はこの方の話される様子を笑顔で聞きながら、この方の魂のために心の中で祈りました。

神様、どうかこの方が食品成分に頼らずに、あなた様に頼る思いに向けられ、真の平安が与えられますように…。





コメント


bottom of page