コリント人への第二の手紙12章9節をいただいて(2)
- 来主 珠里(July Cross)

- 2023年1月8日
- 読了時間: 2分
真珠が神様の備えた自然の力で美しく造られてゆくプロセスには驚かされます。異物という要らないと思われるものが、美しさの生成のために用いられているのは驚異としか言いようがないです。
そして、キリスト者の弱さも、イエス様の愛の衣で覆われて、少しずつ輝いていくというプロセスにも素晴らしさと希望を感じます。
丁度、昨日、大学の牧師先生の講義で、本日の礼拝メッセージで語られた真珠のようなお話がありました。
それは伝道への〝着火〟のお話からでした。
「私たちの内には蛇もサソリもいるが、この蛇やサソリを聖霊の火で燃やしてしまいなさい。火打石で打つと火花が散るのと同じように、蛇やサソリを聖霊の火で燃やす度に聖霊の火花が散る――この火花が伝道となっていくのである。私たちは宝石の原石で、真の宝石になるために何度となく蛇やサソリを燃やし、少しずつ磨かれて宝石へと向かっているのだ。」と。
この「蛇やサソリ」というのは、要するにサタンが引き出す私たちの中にある罪な思いや弱い心のことです。
伝道すれば他者からの拒否や批判にさらされます。音楽伝道なら表舞台に派手に出るため尚更かもしれません。他者からの誹謗中傷、やっかみ、嫉妬に必然的にさらされ、その〝他者〟が伝道に理解を示すことができない同じキリスト者だったりすることも大いにあり得るわけで、実際に、音楽伝道の諸先輩方は険しい音楽伝道をしています。その度に、伝道する者の胸には、そのつらさと残念さから自分の弱さが溢れてしまいます。
けれど、今日の礼拝メッセージの、異物によって美しい真珠が生まれるお話のように、そのつらさと残念さは要らないものではないと感じます。弱さをキリストに覆っていただきながら、その覆いの下で、これらのつらく残念な思いを聖霊の火をもって燃やし、伝道の火花を散らせ、「こんちくしょう!」という人の思いで着火するのではなく、キリストの愛によって着火し、神様を心から伝えられる宝石とされてゆくのだと思います。
蛇やサソリに自分を明け渡すキリスト者ではなく、神様の愛に自分を明け渡す宝石の輝きを伴うキリスト者を目指したく思います。






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