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コリント人への第二の手紙1章4節をいただいて

  • 執筆者の写真: 来主 珠里(July Cross)
    来主 珠里(July Cross)
  • 2024年7月11日
  • 読了時間: 2分

慰めに満ちた神は、いつでもどんな時でも心優しいと思う。

今日のデボーション箇所では、そんな心優しい神の一面を感じさせていただいた。


一昨日、「キリスト者は、休みなく戦いの中にある」というデボーションをいただいたが、その戦いは、この慰めに満ちた神を愛しているからできることである。


神は、私たち一人ひとりを〝そのひとり子をお与えになったほどに愛された〟のだから、全員をまとめて愛するのではなく、一人ひとりの存在意味を大切に思って愛して下さる。

それゆえに、もっと神に近いより良いものと成長していくように、キリスト者には困難や苦しみ、病や悲しみなど、人間が忌み嫌うものをも与えられる。

デボーションの筆者が語られるように、それらの人間が忌み嫌うものは、いつもキリストの十字架の痛みを自分たちの体を通じて改めて思い出すためであると私はいつも思う。そうであるならば、私たちのキリスト者である存在の意味もはっきりし、その上、なぜ神は私たちの苦難を取り去ってくださらないのかという理由も判り、受けている苦しみの意味も鮮明となり、すぐにキリストの痛みを忘れてしまう私たちであっても、キリストの痛みを想像上でも思い出す度に「神の愛と永遠のいのち」という希望をそこに見いだすことができるのだと思う。


あらゆる忌み嫌うことも、あらゆる喜ばしいことも、全て全て、全部が神の御手の中にあるのである。



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