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コリント人への第二の手紙3章2-3節をいただいて

  • 執筆者の写真: 来主 珠里(July Cross)
    来主 珠里(July Cross)
  • 2023年1月10日
  • 読了時間: 3分

キリストの手紙…なんともロマンティックな表現だと思います。


今日、こんなことがありました。

最近ボランティアワーク先で知り合った同世代の女性がいます。知り合って間もないですが、私は自分がクリスチャンであることをワーク先の雑談の時に隠さず言っていますので、彼女も知っています。

彼女とお正月の話題を話していたところ、彼女が私に問いかけました。「クリスチャンでしたらお正月は神社へ初詣は行かないのですか?」と。

未信者の方の、クリスチャンに対するごく当たり前の質問だと思います。

私は「教会では元旦礼拝があるので、そちらに行きます。」と答えました。

すると、彼女は「それなら神社へ初詣には今まで一度も行ったことがないのですか?」と尋ねてきました。

「一度も行ったことがない」と答えたいところでしたが、クリスチャンになる前、初詣は恒例行事として行っていましたし、クリスチャンになってからも未信者の家族に付き合って行っていた時期もありますから、「一度も行ったことがない」とは答えられません。

ですので、正直にそうお答えしました。

すると、今度、彼女は「それでしたら、お子さんの七五三はどうなされたのですか?」と質問してきました。

もうこうなるとテレビの刑事ドラマの尋問のようです。

私の子供はクリスチャンではなく、同様にやはりクリスチャンでない義父母の意向で七五三の時のお宮参りは神社でしたから、それも正直にお答えしました。

彼女はようやっとホッとした顔をして、「ああ、そうなんですね」と納得した様子でした。彼女の本当の心の中はどうかは分かりませんが、その表情から憶測するに、「自分と同じ世界観がある人で良かった」というところだと思われました。


今日のこの出来事は、日本のクリスチャンは人口の1%であるということからしても、よくあることだと思うと同時に、クリスチャンはこうやっていつも「あなたは本当にキリストの手紙なのか?」と他者を通して試みられているのだということをしっかり心に留めなければならないと思わされました。


彼女はごくごく素朴に質問しただけです。悪気があったわけでは全くありません。彼女の周囲にクリスチャンは誰もいないに等しいでしょうから、これらの質問は当たり前のことだと思います。こういう環境の日本人はたくさんおり、そういう方たちは殆どの場合、「クリスチャンは皆、心もきれいで、選ばれた人々で、私たちとは違う人種」と思っていることが多いようと思います。彼女も「クリスチャンってどんな人だろう?どんな生活をしてるのだろう?家族も私たちと違う特別な生活をしているのだろうか?」と思ったに違いないのです。

でも、私はそういった思いを払拭するクリスチャンでありたいといつも思います。


「キリスト教は敷居が高い」とか、「クリスチャンは特別な人々」と思わせてしまっているのは、私たちクリスチャンにも大いに責任があることで、それは実にすべてのクリスチャンが反省すべきところだと、ある牧師先生がかつてメッセージされていたのを思い出します。


出産は神様の奇跡です。母親の肉体から赤ん坊が生まれる前は、精子と卵子から神様の御業である細胞分裂が起きます。そして喜びの赤ん坊の誕生となります。誕生を望む者の誰が誕生する精子と卵子を切り捨てるでしょうか。誰が細胞分裂を止めてしまうでしょうか。

受洗をすると「新しく生まれた」と言います。新生する前の人々はいわゆる霊的な精子であり卵子であると私は思っています。そして、私もかつて霊的な精子であり、卵子でありました。そこを忘れてしまうと、本当のキリストの手紙にはなれないと思っています。

キリストの手紙であるということは、単に「クリスチャンとして言動に気をつけなさい」ということに留まらず、まだ救われていない方たちと同じ視線の高さで正直に語り、低く心を置いて差し上げることのように思います。




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