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コリント信徒への第一の手紙3章6節

  • 執筆者の写真: Gates to Devotion
    Gates to Devotion
  • 2023年1月22日
  • 読了時間: 2分

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。


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野良仕事をたとえとしたこのみ言葉は教会形成の基本を述べたものですが、人間形成の基本でもあります。

若い夫婦が夕暮れの野良で、教会の晩鐘を聞きながら祈っている絵、ミレーの「晩鐘」に私は心を打たれます。この姿こそ、敬虔のたたずまいではないでしょうか。野良で一日の労働を終え、しかし「成長させてくださる神」にすべてを委ねるたたずまいを私は敬虔と理解しています。

現代人はこの敬虔を忘れてしまいました。


教会形成も人間形成も主(あるじ)は神であって、私たち人間ではありません。確かに播くのも、植えるのも、施肥をして水を注ぐのも、雑草掻きをするのも私たち人間です。その野良仕事抜きでは作物を育てることはできません。しかし作物を成長させるのは神であって、私たちではないのです。すべてをなし終えてのち「晩鐘」のたたずまいをしなければならないのです。


教会は「晩鐘」を鳴らして敬虔な気風を送り込んで培う任務(ミッション)を授かっており、み言葉という「晩鐘」を鳴り響かせることが伝道の業であり、教会形成の術(アート)です。パウロが語るごとく、教会形成をするに際し、心得ておかなければならないことは、一人ひとりがなくてはならぬ人材であって、皆その個性が異なり、異なっているがゆえに大切だということです。

作物であれ花であれ、発芽の時期も異なり、根の張り方が異なります。横に根を張るものがるかと思うと、深く根を張るものがあります。比較して善し悪しは決められません。

したがって、教会形成でも人間形成でも、なすべきことをなし尽くして、後は成長させてくださる神に委ねて待つのです。





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