テモテへの第一の手紙1章16節
- Pastor

- 2月17日
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しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。
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パウロがサウロと呼ばれていた時、彼は意気揚々として、方々に離散したキリスト者を捕らえるためにダマスコに向かっていた。その途上、強い光に撃たれて落馬し、復活の主の声を聴いたのである。あの時、サウロは主に撃たれ殺されていてもおかしくなかった。主のあわれみによって命はとどめられ、贖われたのである。殺されて当然の者が生かされ、救いに入れられた。だからパウロは言う、「わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである」と。「模範」は「見本」と訳した方がわかりやすい。私のような悪らつな者が救われたのだから、他のどんな人であっても救われないはずはない」。そういう見本なのである。






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