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テモテへの第二の手紙3章5節

  • 執筆者の写真: Gates to Devotion
    Gates to Devotion
  • 2023年4月28日
  • 読了時間: 2分

信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。


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外見上、敬虔であるように見える人は、外的な悪を避けるだけでなく、可能な限り善をなそうとします。

そのような人は、恵みの手段をできるだけ使用し、可能な限り頻繁に神の家に出かけます。彼らはけばけばしく見えず、厚かましくもなく、不躾に不注意を見つけ出し、忠告することもありません。彼らはあたり構わず居眠りしたり、もたれかかったりせず、あたかも神がいないかのように行動せず、互いにおしゃべりをしたり、祝福を受けるために祈ることを止めることもありません。


彼らは荘厳な礼拝において、特に主の晩餐において、特別な真剣さと注意を払い行動します。彼らの行動は注意散漫ではなく、「神様、罪人の私をあわれんでください」と言えるような謙遜な態度で行動します。


敬虔さの形式だけは保つ九分九厘のキリスト者は、真実の内面の宗教原則である誠実さを持っています。そこからは外的な行為が溢れ出すのです。まさに誠実さなしでは基本的な正直ささえも持っていないと言えます。

というのも、異邦人でさえ、罰への恐れから罪を避けたり、美徳としての愛から罪を避けるのですから、誠実さの内面の原則なしでは、人は九分九厘のキリスト者にさえなれません。

そのような人はむしろまったくの偽善者なのです。




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