テモテへの第二の手紙4章7-8節
- Pastor

- 3月12日
- 読了時間: 2分
わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。
*******
私たちには戦いがある。キリスト者としてこの世にあって生きる時に、少なからずこの世の軋轢(あつれき)があるからだ。主イエスは、「あなたがたは、この世では悩みがある」(ヨハネ16:33)と言っておられるが、そのことを指し示している。キリスト者であるばかりに悩むことがある。支払でおつりを多くもらってしまったことに気づき、返しに行く・・・など。しかし、戦いや悩みがあっても、私たちはそれを乗り越えることができる、なぜなら、ヨハネ16:33の後半部に「しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」と主は言われるからである。
そして、「走るべき行程」がある。同じ教会に通い、同じ信仰に立っていても、進むべき道、置かれている境遇は違う。私たちはどうしても他人と比べてしまう。「なぜ、私はこんな割に合わない道を歩まなければならないのだろう」と。また「あの人は陽のあたる道を歩み、私は日陰ばかりを歩かされている」と。しかし、陽のあたる道ばかり歩んている人が、日陰を通り、さもなければ暴風にさらされていることもある。私たちは知らないだけである。人には走るべき行程がある。主イエスを見上げ、そこから目を離さないでいるなら、私たちはパウロのように走り抜くことができる。
「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」(ヘブル12:2)。






コメント