top of page

ハバクク書3章18-19節をいただいて

  • 執筆者の写真: 来主 珠里(July Cross)
    来主 珠里(July Cross)
  • 2023年5月24日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年6月2日


私が子供の頃、よく親が「本当の友は、人生の内にそんなに多くはいない」と言っていたことがある。

その言葉で、私は多く友を作ろうとするよりは、心の通じたたった一人の友だけを作ることに専念した。不思議なことに、子供の頃に言われた事というのは、大人になっても自然とそれに従ってしまうもので、大きな影響がある。今も私は、たくさんの知人はいるが、心の友と呼べる者はたった一人である。


ある時、ある知人が「多くの友がいたけれど、仕事を辞めたら家族だけになっちゃったよ」と言った方がおられた。

本当の友であれば、仕事を続けようが辞めようが、その方のもとを去ることはないだろう。その方が友と思っていた人々は、元々、友ではなかったのだ。

幸い、その方には家族がいた。家族が大きな支えになったことは言うまでもない。


キリスト者にとって、神の家族は、家族という存在だけでなく、友でもある。そして、友でもあり、家族でもある。なんと不思議な関係だろう。

神の家族が住む教会では、様々な人間関係がある。ずっと一緒にいていたいほどの麗しい関係であることもあるし、顔も合わせたくないほどのどうもウマの合わない関係もあるだろう。なんだ、これでは教会の外に住む人々と全く同じ人間関係じゃないかと思う人もいるかもしれない。


けれど、一つだけ教会の外と教会の内とでは違うことがある。

これは、主イエス・キリストがキリスト者の家族であり、友でもあるということだ。

主イエスは、御父の御性質を丸ごと身にまとい、私たちキリスト者の長子としての一切の責任を負い、共に喜び、共に泣いてくださる。それを知るということは、主イエスとの固い絆を確信するということだと思う。

そして、この地上において、たとえ誰からも必要とされない立場になったとしても、主イエスだけは必要としてくださるということでもある。

正に、信じることは救われることなのだと思う。




コメント


bottom of page