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フィリピ信徒への手紙4章1節をいただいて

  • 執筆者の写真: 来主 珠里(July Cross)
    来主 珠里(July Cross)
  • 2023年3月16日
  • 読了時間: 2分

とても短いデボーション箇所の中にたくさんの重く深い意味が込められていると思います。

「がんばらなきゃ」と思いながら自分自身の足でしっかり立つことは、生きていく上で周囲から多く求められることだと感じます。でも、そうやって「世間並み」に生きることすら大変なのにも関わらず、このデボーションの筆者は、「世間並みにではなく、他者を励ます存在であれ」といいます。


他者を励ますには、自分に心の余力がないとできません。自分のことで手一杯だと、他者に目を向けるどころか、その他者の存在すら不鮮明になります。

「世間並みに生きる」ということは、心に余力を失うことと紙一重だと思ったりします。

けれど、この地上で社会生活を送るには「世間並みに生きる」ことがかなり大切に思われる場面も多いのは事実です。そうなると、「世間並みに生きる」ことと「世間並みに生きない」ことを両立しなければなりません。ある側面では、この両者は、鏡写しのように間逆のことなのかもしれません。


この地上において、キリスト者は、この間逆の、いわゆる白と黒の世界の間に立って生きている者かと思われます。魂の国籍を御国に置きながら、肉体はサタンの支配する地上に遣わされているわけです。

この狭間を生きるためには、精神の闘いや霊的に闘いが何よりも重要で、「世間並みに生きる」ことをすべて神様に委ねなければ闘い抜くことは不可能と思います。もちろん、それらの戦いは〝期間限定〟です、イエス様が再臨されるまでの…。


もし自分の中に多くの闘いがあっても、一切を神様の導きのままに委ね、従い、他者には、いかにも闘いの中にいないかのような微笑みをもって接し、励ましを与えられる強い者でありたいと私は自分に望んでいます。それに対する報いは、この地上では与えられることはないでしょうが、御国にて現されると信じています。

神様は様々な試みをくださいますが、そのひとつひとつが小さな花であっても、御国では小さな花が集まって、大きな房へと成長していると思うのです。





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