top of page

ホセア書4章6節をいただいて

  • 執筆者の写真: 来主 珠里(July Cross)
    来主 珠里(July Cross)
  • 2023年9月5日
  • 読了時間: 3分

今日は、無知と誘惑について学びをいただいた。


私が十代の頃、同じ年の友達に「キリスト教は血だらけな事が聖書に書かれているから嫌い」と言われたことがある。当時、私はキリストのことを信じ、祈りは毎日していたものの、〝神の時〟でなかったため受洗はまだだったので、そのようなことを言われ、不愉快に思いつつも、思わず「確かに…」と半分ばかり納得してしまった。聖書には、戦を語る箇所で血なまぐささは山ほど出てくるし、何といっても、我らがヒーローであるキリストはその血潮によって私たちの罪を購ってくださったとある。血で血を洗う???というようなイメージである。血で血を洗うようなものであるなら、友達が言った〝血だらけ〟という表現は正に正解で、落ちるどころか真っ赤である。


のちに、私が化粧をするような年頃になって、一日の化粧を落とすのには水だけでは落ちないと知ったわけだが、その時、化粧品メーカーの方が私に「お肌のためにクレンジングクリームと石鹸でしっかり落としてください。化粧品は原材料が石油なので、石油が原材料のものでないと落ちないのです。」とおっしゃった。その時、〝罪という血なまぐさいものは、血でないと落ちないのだ〟と私は思った。つまり、相反する素材のものでは落ちないのである。

もし、10代の頃、私の友達にそのようなことが伝えられていたら、私は彼女の「嫌い」という暗闇を「好き」という光にさせることが出来ただろう。

世の中には知らなくていいことというものもあるが、信仰、特に神に関しての無知というのは、残念な結果が生み出されやすくなると思った。


また、誘惑は恐ろしいほど周囲に落ちている。

目に見える誘惑もあれば、知らない内に誘惑に傾いてしまうこともある。

神から常にご注意をいただいているキリスト者でさえ そうなのだから、キリスト者でない方たちはましてそうであろう。

けれど、どのような誘惑も、自分の弱いところを受け入れていれば、悪魔にそこをつつかれた時、反射的に反応してしまうから、「悪魔の誘惑が来たぞ!」と分かる。私たちは何かと自分の弱いところや悪いところに目を瞑ってしまうが、瞑ってしまい続けていると、悪魔が弱点をついて誘惑してきたことに気付かずに罪を犯してしまう。感情的になって、神を中心に置かずに、自分を中心に無意識に置いてしまうようになる。

「弱い自分を受け入れよ」というのは教会説教でもよく聞かれることだが、自分のプライドを捨て、弱い自分を受け入れることは、悪魔の誘惑という虫に対しての虫除けにもなるのである。


私たちはどれだけ学びをしても限りなく無知だと思う。神のことであれば尚更で、神を知り尽くすことは不可能である。

けれど、神はひとりひとりに与える賜物やメッセージを十人十色に変えて、与え、その目に見えぬご自身の存在を現そうといつもなされる。私たちは無知だからこそ、神が共におられるのである。

そして、無知であっても、拒むことさえしなければ、神はきちんとひとりひとりに的確な知恵や力を与えてくださる御方であると思う今日である。



コメント


bottom of page