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マタイによる福音書11章28-30節

  • 執筆者の写真: Gates to Devotion
    Gates to Devotion
  • 2023年5月19日
  • 読了時間: 3分

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。


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幸福になる事は、環境によるものだと考えている人がおります。しかし、幸せは主観的な感覚であって、どう環境を受け止めるかによって決まります。人が羨む環境を持つ売れっ子のタレントであっても自死する人もいれば、悲惨の極みにいても喜びに満ちている人もいます。

では、どうしたら幸福になれると聖書が教えているのでしょうか?


新しい心を持つことです。


わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。

エゼキエル36:26


心が新しく作り変えられることです。祈りによって重荷を主の前におろすのです。そして身近にある幸福を探すのです。

幸福は遠くではなく、近くにあります。心が豊かさで満ちると、どんな体で生まれても、自分自身を愛せるようになります。自分自身を愛すように、主の前に重荷を下ろして、心の姿勢を変えていただくことが幸福になる第一条件です。


どんな立派な家でも毎日出るゴミを処理しなければ住めなくなります。人生も同様で、日々犯す罪や病や呪い、憤怒、憎しみなどを適切に処理し、片付けなければ精神を病んでしまいます。悪臭を放ち、ハエの頭なるベルゼベルと言う名の悪霊が、仲間の悪霊を連れ立って部屋を占拠してしまいます。幸福などなくなり、不幸の部屋に住むようなものです。

幸せは、この不幸な材料で詰まったトンネルを通過する時、その先に必ず訪れる光のようなものです。幸福は、すべてのくびきを負ったまま、イエスのもとに行き、そこで休むということです。それらのくびきは不幸の材料ですので、イエスによって取り除いていただくのです。まず、主に「取り除いてください」と祈り求めることです。自分ではなかなかこれらの不幸の材料を取り除けませんから、まず祈り求めるのです。

必ず祈りは聞かれます。主は不幸の材料、くびきを負わせたままには決してなされません。神の愛を信じることです。不幸の材料を片付けることが、幸福になる第二の条件です。


貪欲は幸福を破壊します。アダムとエバは、貪欲のために罪を犯し、幸福なるエデンの園から追い出されました。

健康な生活をしていても、不摂生は貪欲な生活を持続していると体を壊して、家庭を破壊してしまいます。貪欲は、恨みと不平をもたらし、恨みは滅亡をもたらします。

貪欲をしてた人は、平安と幸福が与えられます。むしろ人の幸せを喜び、施す者であるべきです。豊かに蒔く者に神は豊かに与えます。


外他を潤す人は、自分も潤う。

箴言11:25


貪欲を捨てることが、幸福になる第3の条件です。


明日への希望を捨ててはなりません。


幻なき民は滅びる。

箴言29:18


毎日、奇蹟が起きるのを楽しみに生きる人は幸福です。神の国のしるしで満たされる生活は、偶然のように起こる不思議でいっぱいです。これは、主なる神と共に生きる生活によってもたらされます。イエス・キリストを救い主として受け入れた者は、すべてのくびきである重荷をおろす権利を持ち、真の幸福を受ける特権を持ちます。この希望が、不幸を追い払い、幸福な花を咲かせる原動力になるのです。希望を持ち続けることが、幸福になる第4の条件です。


幸福は、これらの幸福の条件を備えた人格から生まれてきます。どうぞ幸福を願い、不幸をして、貪欲をして、聖潔な整えられた生活をもって、神の国に生きる希望を決してあきらめず生きることです。神の国には、悪霊がもたらす腐敗ゴミもありません。病も、痛みも、悲しみもありません。

真の幸福に与る皆さんでありますように、主の御名によって祈ります。




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