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マタイによる福音書1章18-22節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年12月5日
  • 読了時間: 2分

イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。


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「処女降誕」は、しばしば信仰のつまずきとなる。このヨセフとマリヤにあってはなおさらのことであったろう。この短い文章の中にヨセフの苦悩を読み取ることができる。ヨセフは正しい人であったとあるが、彼女の身に何かしらあったことを想像しながらも、決してさばくことなく、むしろマリヤの身の安全、責められることがないように配慮する思いから、離縁という決断に至ったようである。私たちも祈りと信仰によって、このような愛と配慮をもった意思決定に導かれたいと思うが、神のご計画はそれを超えるところにあった。マリヤは聖霊によってみごもったのであり、その生れる子が人々を罪から救うメシヤ(救い主)であった。その驚くべき神の計画を夢の中で、御使いに聞かされ、信仰によってマリヤを妻として迎え入れたのである。いつの時代も、神はみ言葉に従う従順な人を求めておられる。そのような人をとおして神の救いのご計画が推し進められてゆく。




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