マタイによる福音書6章19節をいただいて
- 来主 珠里(July Cross)

- 2023年1月6日
- 読了時間: 3分
年が明けて年度末に向かうにしたがって、確定申告やら様々な金銭的計算をしなければならない人も少なくないと思います。
また、教会の献金袋も年度末で一年間の終了となり、4月になるとまた新しい献金袋が配られます。
ずっと以前に、あるクリスチャンでギリギリの年金生活をしていた方が、「献金ができないと礼拝に出にくい」と言われていた方がおられたのを思い出します。
また、未信者の方で、お会いする度に「パートの時給が安くていやになる」とぼやいておられたのも思い出します。
お金のことはクリスチャンであろうがなかろうが、誰でも〝本気モード〟で考える…というのが現実なのだと感じます。
先々日、ある牧師先生がコロナの影響で信徒が減ってしまい、献金が集まらず、教会存続が危うくなっている最中、私にこう言われました。
「無きゃ無いで知恵が与えられるんだよ」と。
先生は、元々、牧師は献金に頼らずに自立をすべきだというお考えがあり、コロナ以前に御用意された教会所有の僅かな不動産を貸して、それを教会維持にすべてお使いになっておられました。神様が先生にお与えくださった備えの知恵のひとつです。
先生ほどではありませんが、私もお金の心配をしたことがありません。
それは私がお金持ちだからでは全くありません。他のお宅と比較したことはありませんが、おそらく我が家は一般的収入を下回っている生活をしています。私の家のボロ加減と、犬小屋レベルの小ささを御覧になった人は納得されると思います。
でも、私はお金の心配をしたことがありません。
「お金の心配は不要。大丈夫、神様が必要に応えてくださる」と思っているからです。
ですので、一般的収入を下回っているにも関わらず、必要な度に神様が私に単発の仕事や有償ボランティアやその他の雑収入を与えてくださり、それによって家計を支えるだけでなく、教会の献金やアフリカの貧しい子供に募金もでき、伝道の学びのための学費まで与えてくださっています。
よくよく考えてみると、神様の活動に関わることにすべてを使っており、自分の懐を温めているわけではないので、やはり神様が必要な分だけ備えてくださっていると思います。
この年度末で私はまたひとつ、有償ボランティアの契約が終了し、僅かではありましたが、いただいていた収入が絶たれます。でも、金銭のことよりも、神様が次に何を私に与えてくださるのか…そういった楽しみのほうが勝(まさ)っています。
その〝次の何か〟が、地上に富を積まない最高の道であるように、そして、その道に向けて良い知恵が与えられるように祈りつづけたいと思います。






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