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マタイによる福音書7章13-14節

  • 執筆者の写真: Gates to Devotion
    Gates to Devotion
  • 2023年8月4日
  • 読了時間: 2分

狭い門からはいりなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入るものが多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。


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「狭き門」という表現は聖書由来ですが、日本では、アンドレ・ジッドの小説『狭き門』を経由して、さらに受験戦争で拡散し、難関大学を「狭き門」と言うようになりました。しかし、それはマタイが告げる「狭き門」とは真逆の意味です。つまり入学の門が狭いのではなく、その門に受験生が殺到するので、入るのは困難というだけのことです。


マタイの告げる「狭い門」を「裏木戸」と訳している人もいます。

私には、裏木戸というか、勝手口についての苦い思い出があります。

家が倒産したので、私は中学を卒業すると、大阪の小さな会社に就職しました。ある日、芦屋にある社長の自宅に届け物をするように命じられました。大きな邸宅でした。玄関で呼び鈴を押すと社長夫人が現れ、私を見るなり、開口一番「あんたはどこの呼び鈴を押してるの!」と怒鳴るのです。私は全く意味がわかりませんでした。「あんたが入るのはあっち!裏へ回りなさい」と叱られ、勝手口を指示されました。


このときの二重の驚きが蘇ります。一つは屈辱感です。もう一つは帰りの電車でつらつら思い起こした故郷の思い出です。

我が家は、農地解放で農地を失った地主だったのですが、元小作人だった村人たちが我が家を訪れる時、正門に来ることは決してなく、勝手口に現れました。その当時は不思議にも思わない情景でしたが、自分がこの屈辱を受けて、初めて故郷の家で起こっていたことが尋常なことではなかったのだと悟らされたのです。


三浦綾子の小説『千利休とその妻たち』が茶室の造りの由来を記しています。それによれば、茶室の躙口(にじりぐち)はこの山上の説教「狭き門」から考案されたというのです。

利休の後妻おりきが、教会の説教の「狭き門より入れ」で語られた話「天国に人が入るためには、すべての持ち物を捨てなければならない。身分という持ち物も、財産という持ち物も、学問という持ち物も......」を夫に話しました。そのおりきの話を聞いて、利休は「おごり高ぶるものは、茶室には入れぬ」を茶の湯の精神とし、「茶室に入るには、天国に入るのと同じように、大名といえど、天下人といえど、一様にへりくだらなければならぬ」と言って、膝をにじらなければ入ることができない狭い小さな躙口を考案したと言うのです。


身分、能力、業績、学歴に関係なく、神の恵みは低いところに流れてきます。




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