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マルコによる福音書10章45節

  • 執筆者の写真: Gates to Devotion
    Gates to Devotion
  • 2023年1月29日
  • 読了時間: 1分

人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。


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「受肉」とは、神が人となられたことである。

人が神となることは「神格化」であるが、古今東西を問わず、権力者が強権的な支配をするためにこの手法を講じてきた。

それに対し、神が人となられたとは、高い位から低きところに下ることであって、人に仕え、人を救うために自身の命を捨てるためであった。「受肉」こそ、神のみが持ち得る真の謙遜である。




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