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マルコによる福音書12章29-31節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2025年7月29日
  • 読了時間: 2分

イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。


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われわれ人間に、律法をとおして、神は何を求めておられるのか? 主イエスは旧約聖書を引用し、神を愛し人を愛することだと答えられた。律法は義務としてとらえやすい。そして人は律法主義に陥る。律法主義は私たちの信仰を腐らせ、私たちのいのちと人間性を奪う。そうならないために、主は律法を愛でとらえた。愛は命じられてできるものではない。愛ほど自主的で自由なものはない。自然にわれわれの心に芽生え湧き出てくるものである。だからこそ、愛はクリエイティブである。それが他人を生かし、自分自身をも生かす。


1.神を愛する

神を愛するとは、神を知ることである。神は先ず、唯一であることを知らなければならない。神ならぬものを神としてはならない。神よりも財産、仕事、子どもを第一としているなら、それは偶像礼拝であり、かえってそれらの大切なものを損なってしまう。


2.人を愛する

もっとも身近な隣人がないがしろにされていないか。遠い隣人は愛しやすい。もっとも身近な家族を、親を、伴侶を愛すべきである。聖書は自分を愛するように隣人を愛せよという。自分を受け入れることができて、他人が受け入れられる。「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った」(第一ヨハネ3:16)。どんなに自分を愛せない人も、キリストの愛を知って、自分を恥じず自分を愛することができる。自分を愛する者とされたものは、心から人を愛する者とされる。



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