マルコによる福音書14章22-24節
- Pastor

- 2025年8月2日
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一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取れ、これはわたしのからだである」。また杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。イエスはまた言われた、「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
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この晩餐は過越の食事であった。あの出エジプトの時に、神のさばきを免れるために小羊がほふられ、その血が家の入口に塗られた。その血のしるしを見て、神の御使いは神の怒りを下すことをせず、過ぎ越されたのである。主は、まさにこの過越の小羊になられて十字架にかかり、贖いを完成された。パンは裂かれたキリストの体、ぶどう酒は流されたキリストの血潮をさすである。
聖餐式は、キリストの十字架という、私たちの信仰のもっとも中核となる出来事を、キリスト者が一生涯忘れることがないように、主が定められた儀式である。儀式で陥りやすいのは形骸化である。これを命ある、生きた儀式として守り、また後世に伝えて行かなければならない。聞くだけでは忘れられてしまう。飲食することによって心の肉皮に十字架を刻むのである。身体で覚えたことは忘れない。十字架があって、私たちは神の救いと恵みの中に生かされている。十字架があって、互いに赦し合い、平和が築かれる。






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